国家資格をもつ専門職である医師は、比較的男女平等が進んでいる職種といえます。しかし、診療科や職場によっては男性優位な場所も多く、記憶に新しいところでは医学部入試における女性差別が発覚するなど、女性医師には特有の苦悩があるのもまた事実かもしれません。
このシリーズでは現役の女性医師にインタビューを行い、就職先や専門医の取得など、「後戻りしにくい、人生において重要な選択」の局面で「どのような考えのもとで、その道を選び取ったのか?」について深掘りしていきます。
女性医師のみならず、医学生、ひいては医師全般にとって、「生きること・働くこと」を見つめ直すきっかけになれば幸いです。
目次
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マネーリテラシーの高い家庭に育ち、負けず嫌いだった子ども時代
今回ご登場いただくのは、都内の不妊治療クリニックに勤務する産婦人科医師・日々自己ベスト先生。ご本人の希望で匿名掲載ですが、表情豊かにお話しになる美女医です。
――日々自己ベスト先生が医師を目指されたきっかけや、子ども時代について教えてください。
日々自己ベスト:もともと、勉強をするのが大好きな子どもでした。テレビを見るよりも勉強をするようなタイプで、学校で友達がジャニーズの話題で盛り上がっていても、ついていけなかったくらいで(笑)。特に好きだったのが生物でした。
両親は医者ではありません。ものすごく現実的な人たちで、「家族で年2回海外旅行をするような生活をするのには、年収2000万円くらいは必要なんだよ」などと、子ども扱いせずにお金のことをしっかり叩き込まれました。そんな環境で育ったので、「私が大人になってからもその生活を維持しようと思ったら、医者か弁護士になるしかないんだな」と、早いうちから理想の暮らしと職業を結びつけて考えていましたね。
母親は私の性格をよくわかっていて、テストで満点を取ったり学校で1番になったりしたら、必ずご褒美をくれました。ブランドもののバッグも買ってもらいましたし、お金ももらいました。そうするうちに、自然と勉強に励むようになっていたという感じですね。
――ユニークなご両親のもと、愛されて育ったんですね。日々自己ベスト先生はご自身のことを、どんな性格だと思われますか?
日々自己ベスト:ものすごく負けず嫌いなんですよ。「絶対に1番を取りたい!」という気持ちが強い。とにかく勉強するのが好きで、成果に対するご褒美をもらえれば、もっともっと頑張れるんです。
実際に、成績がよかったことで学校では快適な生活を送ることができました。東京にある私立の学校に通っていたのですが、割と自由な校風でしたね。普通だったら髪の色を染めたら注意されますけど、私の場合は勉強がよくできていたこともあって、髪を染めてもピアスの穴を開けても大丈夫。親も「勉強さえしっかりしていればいいよ」という感じでした。
私のまわりは裕福な家庭の子ばかりで、将来の仕事とか生活に不安を持っている友達はいなかったんじゃないかな? そんななかで、我が家には家業があるわけでも資産があるわけでもないので、ひとりだけ勉強に打ち込んでいた学生生活でした。
周産期は幸せな出産ばかりではない……最先端の技術が学べる不妊治療クリニックへ
――その後、どういった経緯で産婦人科医になられたのでしょうか?
日々自己ベスト:子どもが好きで、かつ外科で手術をバリバリやりたかったため、選択肢は多くなくて、小児外科か産婦人科か、耳鼻咽喉科のうちのどれかを選ぼうと思っていました。実際に現場を見てみると、小児外科は体力的にキツすぎて、女性の先生がほとんどいない。もし自分が結婚して子育てをするようになったら続けられないのではないかと考えました。
また、美容にも興味があったのですが、「いずれその道に進むとしても、専門医を取ったほうがいい」とアドバイスをもらったので、産婦人科を選びました。
――日々自己ベスト先生は現在、不妊治療専門クリニックにご勤務されていますね。産婦人科の中で不妊治療を選んだのは、なぜですか?
日々自己ベスト:産婦人科は大きく分けて、周産期医療、生殖内分泌(不妊治療など)、婦人科腫瘍の3つあって、4年間くらいかけて全てを学ぶのが一般的かと思います。産婦人科では周産期医療を選ぶ医師が多くて、男性の場合は腫瘍を選ぶ傾向が強いですね。
産婦人科では、周産期が花形だとみんなが思っているはずです。私は周産期医療で有名な病院に3年間勤めました。でも、肉体的にもそうなんですが、それ以上に精神的にキツかったんですよね……。100人の赤ちゃんのうち100人全員が元気に生まれてくるわけじゃない。「自分のせいで何かがあったら」と思ったらプライベートにも影響が出てしまって、とても耐えられなかったんです。だから、周産期医療を長く続ける先生は、本当に尊敬しています。
――周産期病院の後、どのようなキャリアを積まれてきたのでしょうか。
日々自己ベスト:周産期の病院には妊婦さんしか来ません。今後のために女性の一般的な病気を診たかったので、都内の大きなターミナル駅にあるクリニックで働きました。本当に忙しいところで、外来患者は1日に60人くらい。そこでさまざまな症例を見て、婦人科医としての経験を積むことができました。
その後、産婦人科専門医を取得したので、もともと興味のあった美容外科への転科を考えました。しかし、知識を活かせる、かつ最先端技術を駆使する不妊治療に興味が湧き、転職することにしました。高度な不妊治療の技術にはどこかSFに共通するようなところがあり、知的好奇心をくすぐられたというのもあります。
不妊治療で大切なことは、「お互いのことを思って歩み寄ること」。夫婦の悩みに寄り添い、最適な治療プランを提案する
――現在勤務されている、不妊治療専門クリニックはどのようなクリニックですか?
日々自己ベスト:不妊治療の場合、バリバリ仕事をする30代、40代の女性が来ることが多くて、夜間でも診察を受けられるクリニックに症例が集まる傾向があります。ですから、今のクリニックで働くようになってから、知識も経験もどんどん増えていきました。土地柄、先端の医療を求める患者さんも多く、「なにごとも一流が良い」を考える私にとっては相性が良いかなと思っています。
不妊治療の場合、女性と男性の間にはどうしても温度差があります。高度な治療はやりたくない、自然に授かればいいと考える男性が多いようです。「先生、うちのダンナを説得してください」と言われることもあります。私も30代半ばになり、女性側の気持ちもわかるし、男性の思いも理解できるようになりました。大事なことは、お互いのことを思って歩み寄ることだと考えているので、そういうお話をすることもありますね。
――今後の展望や、キャリアプランについて教えてください。
日々自己ベスト:年齢的に、そろそろ出産について考えるようになりました。今までは産休後にも復帰できるように、必要とされるボジションを確立したかったことと、産休・育休に向けて貯金をしておきたく、仕事に邁進していました。近い将来、少しずつ仕事を減らしていこうかなと思います。
とはいえ、周りの産婦人科の女医さんを見ていると、「ずっと家にいるほうがしんどい」と言って産後2、3カ月で職場復帰してる方が多いですね。私も働くのが好きなので、パートナーと相談してすぐ復帰するかもしれません(笑)。
少し先の話ですが、海外で働くことにも興味があります。家族が海外に移住する可能性があり、私も移住先で医師免許を使って働けたらいいな、と。生まれた国に縛られるような時代でもありませんし、医師は資格職だからどこでも働くことができます。職業の特性上、リモートワークがしづらい分、移住先で医師の専門性を発揮して現地の医療に貢献したいですね。
【取材協力】
日々自己ベスト先生
東京都出身。日本産科婦人科学会専門医。周産期病院、婦人科クリニックを経て、現在は不妊治療専門クリニックで勤務。趣味は語学の勉強、猫好き。