勤務医の資産運用といえば、不動産投資や為替取引、そして株取引が定番かと思います。株取引については、証券会社が扱う「インデックスファンド」(指数連動型投資信託)に投資してそのまま放置、という方も多いと思いますが、なかには個別株を頻繁に売買する“野心家”の方もいることでしょう。
しかし、そんな方が意外と陥りやすいのが「インサイダー取引」の罠。日常的に製薬会社・医療メーカーの内部情報に接しているほか、交友関係が広く、他業種のエグゼクティブにも知り合いの多い勤務医のみなさんにとって、株の違法取引は決して「他人ごと」ではないのです。
近年話題となった、未公開情報に関するインサイダー取引の例
医師が製薬会社からの情報をもとに株を空売りしたケース
まずは過去の事例から見てみましょう。2016年、九州の国立大学の医学部に所属する男性医師が、製薬会社から点眼薬に関する「治験中止」の報告を受け、情報が一般に公開される前に同社株約165万円分を信用取引で空売り。医師はその後、同社株を買い戻し、数十万円の利益を得ました。
このケースでは、金融犯罪を取り締まり、“市場の番人”とも言われる「証券取引等監視委員会(SESC)」が医師の不法行為に気づいて違反を指摘。医師は課徴金(罰金)60万円を納付しています。
ゲーム会社元社員が人気ゲームの新作情報をもとに不当に利益を得たケース
別のケースをもうひとつ。こちらは医師ではありませんが、未公開情報に関するインサイダー取引で2022年の冬に話題になったもの。スマホ向けゲーム「ドラゴンクエストタクト」の共同開発に関する未公開情報をもとに5000万円弱の関連株を売買し、数千万円の利益を得た大手ゲーム開発会社「スクウェア・エニックス」の元社員らが、東京地検特捜部に逮捕された事件です。
元社員はゲーム開発会社の社員として得られる人気ゲームの新作情報を不正に利用し、自身で関連株を購入したほか、知人にも情報を伝えて株を購入させ、株の値上がり後に2人そろって売り抜けたことで大金を得たとされています。
業務で知り得た情報をもとに株取引を行うことは罪に問われる
2つのケースに共通するのは、いわゆる「インサイダー情報」をもとに不正な利益を得ている点です。
自身の職務に関連して市場の投資家より先に得られる情報をもとに株取引をしたか、人づてにこうした情報を得ていたか。どちらも違法であり、逮捕・起訴されれば留置施設や拘置所で何十日にもわたる身体拘束を受けるほか、数百万円から億単位の追徴金を支払わなければならず、社会生活・家庭生活はほぼ間違いなく崩壊します。
しかも、この追徴金には特徴があって、違法行為で最終的に手元に残った利益ではなく、売買金額をもとづいて額を決定する場合があり、単に不当な利益を没収されるだけにとどまらない可能性があります。
典型的なインサイダー取引の手法とは
豊富な資金をもとに組織的な株取引で相場をつくりだす、いわゆる“仕手筋”などを除いて、勤務医のみなさんのように個人で株取引をする方々が「インサイダー情報」を入手し、さらにそれを悪用しようとする場合、手法は大きく2つに分かれます。もちろん、決して許されることではありませんが。
【手法1】ポジティブな情報をもとに株式を売買し、利益を得る手法
ひとつはとても分かりやすいケース。「スクウェア・エニックス」の元社員らが起訴された内容と同じ手法で、企業の大規模な商品開発や好調な業績など「ポジティブ」な情報の発表直前にその内容を密かに把握し、比較的安価で株式を購入したあと、情報公開後に大きく価格が上昇した株を売り抜け、差額の利益を得るというものです。
【手法2】株価の下落を見越して信用取引を行う、いわゆる「カラ売り」
もうひとつは、先述の医師と同じケースで「カラ売り」と呼ばれるものです。株の価格が下がることを見越し、信用取引を用いて証券会社から「株を借りて」売り、実際に価格が下がったときに株を買い戻して返すことで差額の利益を得ることです。ごく簡単に説明すると、たとえば、株価1000円のときに証券会社から1万株借りて市場で売却すると、1000万円が手元に入ります。その後、株価が800円になった時点で再び1万株購入すれば、手元には差額の200万円と1万株が残り、1万株を証券会社に返却しても200万円の利益が出るということです。
カラ売り自体は違法なものではありませんが、公表前のインサイダー情報のうち、「ネガティブ」な情報と組み合わせることで、たちまち違法性を帯びることになります。ネガティブな情報で特に多いのが、決算期において、企業の業績が事前の予想より大幅に悪化するといった業績予測の下方修正に関するものです。また、企業の不祥事は株価に直結するため、不祥事の内容や公表時期を事前に知り、カラ売りを仕掛けることには大きな問題があり、刑事責任を問われる可能性があります。
医師が株取引を行う上で気をつけるべきこととは
内部情報をもとに株取引を行うことは絶対にNG
医師の方々は、ポジティブ・ネガティブにかかわらず、製薬会社から新薬に関する情報、医療メーカーから医療機器に関する情報などを得ることも多いかと思います。さらに、友人との食事の席や仕事上の付き合いの中で、株価が乱高下するような内部情報を偶然「知ってしまう」「聞いてしまう」ことがあるかもしれません。そうしたとき、どうすればよいのでしょうか?
結論から言うと、決してそういった情報をもとに株取引をしてはいけません。倫理的に許されないのはもちろんですが、現実的に「逮捕」されたり、「罰金」を支払ったりしなければならないリスクがあるからです。詳しく説明します。
金融庁の監視の目は厳しい! 単純なインサイダー取引はまず間違いなくバレる
株のインサイダー取引を捜査するのは、主に「証券取引等監視委員会(SESC、通称「監視委」)」という組織です。金融庁の組織の一部で、経済犯罪を専門に取り締まる背広の集団です。
先にインサイダー取引の具体的手法として「売り抜け」「カラ売り」の2つのパターンを紹介しました。この2つの取引は、企業の情報公開時期の前後でかなり短期間に株を大量に買うか、売るかしているという点で共通しています。つまり、株価のチャートと保有株、売買時期を見比べれば、容易に“疑惑の痕跡”が見つかるということです。
ただし、そうは言っても、NISA(少額投資非課税制度)の普及でこれだけ個人投資家が増えている世の中です。「いち個人の売買をわざわざチェックするはずはないだろう」「取り締まりの対象は一部の大金持ちだけだろう」と思うかもしれません。しかし、答えはNOです!
その理由は以下のとおりです。監視委は膨大な数の「チャート」(株の値動き表)と株の「売買データ」をチェックしていますが、企業の情報公開前後に行われる単純な「売り抜け」「カラ売り」については、この2つの指標などを組み合わせて自動で異変を検出する独自のプログラムを持っていると言われているのです。金融庁の関係者によると、検出の精度はかなり高く、単純な「売り抜け」「カラ売り」で1千万円単位のカネの動きがあれば、まず間違い無く発見できるとのことです。
勤務医こそ「うっかりインサイダー」に注意!
インサイダー取引で逮捕されてしまう人は、なにも金融機関のファンドマネージャーや“仕手集団”などの金融の専門家ではなく、余裕が生まれた資金を賢く運用しようとした、ごく普通のサラリーマンも多いといわれています。彼らは逮捕されると、決まって「そこまで悪いことだとは思わなかった」「自分だけが知る重要な情報だとは思わなかった」などと言います。確信的な犯行というより、「これくらいだったら良いだろう」と思う、ちょっとした出来心で、一生の重荷を背負ってしまうことになるのです。
普段、多くの情報に接する勤務医のみなさん。個別株を大きく売買をするときは、「インサイダー情報に基づいた売買ではないか」と、一度立ち止まって考えてみて頂きたいです。インサイダー取引などの金融商品取引法違反や脱税などの経済犯罪は、特に世間から向けられる目が冷たく、「自業自得だ」と後ろ指をさされやすいとも言えます。社会的評価にも大きく影響しますので、ぜひ健全な投資を心がけましょう。